【ミイラ資料 手紙②】山内峻呉 新潟大学教授(法医学)の手紙 昭和34年 徳山啓基宛て/新潟県 円光寺 史料 江戸時代【24-0425-2】

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昭和34(1959)76日、山内峻呉 新潟大学教授(法医学)が、新潟県の浄土真宗本願寺派・円光寺の住職、徳山啓基に宛てた手紙。
便箋2枚と封筒1枚。
内容は、
     近日中、新潟県寺泊町野積でミイラ研究があり、私(山内峻呉)が血液型検査を担当する
     あなたのお寺(円光寺)にもミイラがあるとお聞きしたので、調査させて頂きたい
というもの。
もう1点の手紙(ヤフオクに出品中)によれば、195972324日、安藤更生 早稲田大学教授によって円光寺のミイラ調査が行われたことが分かっている。
 
【手紙 1枚目】
今年は空梅雨かと思つていましたのに
この四、五日 雨はかりつゝき うつとうしい日が
続いて居りますが 如何おくらしですか
その後はお目にかゝる機会もなく失礼致して
居ります。
さて早速でございますが、本日(六日)の日報で
御らんの様に近く寺泊の野づみの
ミイラの研究かあり 私も血液型検査を担当する
ことになり引つゞき県内のミイラの研究かある
由、
前に一度貴寺にもミイラか保存されている
とかおきゝした事があり、
若し拝観させていたゞければと考えて御便り
した次第です
【手紙 2枚目】
御遺体をそこなう様な事は絶体無いと
思いますので研究させていたゝければ何より
幸と存じます。
何卒伝所のものかその他ミイラに関する
記録でもございましたら居り返えし御一報
願いたいと存じます。
甚だ突然で 参上いたしてお願いしたらよかつ
たのですが 急を用したので書面で失礼
致します。
   何卒よろしく、
御返事をおまちしています。
   新大 法医学教室
        山内峻呉
 徳山啓基様
 
 
【山内峻呉】
やまのうち-しゅんご
1909−1974
昭和時代の法医学者。
明治42330日生まれ。昭和28年新潟大教授となり,42年学長。のち県立がんセンター新潟病院長。血液型判定法の研究で知られる。母校新潟医大の師高野素十(すじゅう)に俳句をまなび,大刀と号した。昭和4929日死去。64歳。三重県出身。
(『日本人名大辞典』)

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